また一つ歳をとって、僕は大人になれたのかな?

うん、お久しぶり。
ブログを書いていたら、日が変わってしまったので
お誕生日おめでとうな俺。
なんか、去年も誕生日に書いてたけど時間経つの早いな。
3ヶ月くらい前くらいにしか思えん。
今年は色々あった。
仕事、辞めたし。
しばらく、死んだ魚みたいな目してたし。
現実から、逃避してたし。
お袋とは離れて暮らすようになったし。
親父は家に帰ってこなくなったし。
なんか悪いことばかりが多い気がするけど
別にそんなことはないし、
随分と仲間達に勇気と元気もらったし、
それなりに自活できるくらいの家事は出来るようになったし、
良い職場と良い上司にも会えたし、
まぁ、良いことの方が覚えてること多いから
きっと良い一年だったんだと思う。






去年の自分は祝って欲しくて
友人達に「祝ってクレー」ってほざいてた事を覚えてる。
今思うと、死ぬほど恥ずかしいな(苦笑)
自分の甘ったれ加減に反吐がでてくるわw
今は別にそう思っていないと思う。
自分は、よく己をなじって考えを纏めていく事があるので
実際は去年の自分とさほど変わってはいないのかもしれないが
まぁ、なんつうか、以前ほど拘らなくなったんだと思う。
それは、以前の自分は他人の中にある自分への信頼を
確かめたかったんだと今は思う。
自分の事をどう思ってくれているのか確かめたいと欲したのだと。
正直なところ、自分は自分を信用していない。
世界で一番嫌いな人間は誰か?と問われれば自分だと答えよう。
だから、自分は自分を信じない。そして嫌う。
故に、誰かの評価を求めている。今もそう。
自分が好きになった人の中に自分の居場所を探している。
そして失くすのが何よりも怖くて怖くてしょうがない。


実際、この文章を書いているときですら心の底では
無かったことにして、少し笑いでも取れるくらいの
間の抜けた話でも書いてお茶を濁そうかなんて考えてる。



でも、今日はもう少しだけ自己を見つめてみるとしよう。
あまり面白くは無い話題だが、まぁ、引き返すも進むも
任せる。



自分は他人の中の自分を感じることで自分の存在を認識していた。
ただ、それを確かめる術はひどく限られていた。
時々、友と会うたびに自分は友の中に存在する自分を実感し、
そして安堵した。
自分は認めて貰っているのだと。
自分の存在を繋ぎ止めてくれているのだと。
それが、どんなに彼らの信頼を試している自分がいるという
友にとって侮辱以外の何物でもない事から目を背けた行為で
あるかを自分はずっと目を逸らしてきたのだから。



私を友人だと思ってくれる仲間たちへ
自分は今、書いたとおりの人間です。
今、書いたことは紛れも無く自分の中の真実です。
幻滅した人もいると思うし、嫌われても仕方がないと
自分は思っています。



それでも、それでもこれだけは言いたい。
自分は皆に会えて良かったと。
自分よりも大事な奴らに会えて良かったと。
この思いはずっと変わらないと。
今日の日が元で自分が掛け替えの無いものを失くしたとしても
決して変わらない思いなんだと!!
自分の中で、この思いを確信したから
自分はもう、友人達の信頼を侮辱するような事はしない。


自分はこの思いを持ち続ける。
そして、もう友人の信頼の中に自分を投影することもしない。
友が自分に持ってくれた信頼に、自分の全力の信頼を持って
応えていく事を24年目の自分に誓う。
自分勝手な内容だけれど、もし、こんな自分に今までのように
信頼を預けてくれる奴らに、自分はその信頼に全力で応えて生きたい
と思うんだ・・・



漸く、自分の一面と向かい合えた気がする。